『Wedding』

+++written by RIBI様+++

 

「いかがですか? すごく素敵ですよ」
そう言って美容師さんは合わせ鏡で、私の後ろ髪を見せてくれる。
長い髪は綺麗にアップされ、うなじをスッキリ出したスタイルは確かに素敵で、自分ながらちょっと色っぽくさえ見える。
髪と一緒にメイクもお願いしたら、舞台でされるメイクとは違ったナチュラルメイクとやらをされた。 ラベンダーのアイシャドウにうっすらピーチのチーク、唇にはピンクのルージュにたっぷりのグロス。 プロの手で完璧にメイクされ、髪もアップスタイルにした自分が目の前の鏡に映り、その姿はなんだか自分じゃないみたいに見えて変な気分だ。 いつまでも私が黙っているので、美容師さんに
「お気にめしませんか?」
と心配そうに言 われて、私は慌ててかぶりを振って笑顔を作った。

お金を払って美容院を出ると、ふわりとした風が肩を撫でていった。
ふと見上げると空はひどく澄み切った青で、雲ひとつない。
今吹いた風もとても穏やかで温かく、こんな日にごろんと草むらにでも寝転んだら、さぞ 気持ちいいんじゃないかと思う。
でも、今そんな事をするわけにはいかない。
大奮発をして買ったドレスが皺だらけになっちゃうし、せっかく綺麗にしてもらった髪が乱れちゃうし、……これから行かなければいけない場所に、遅刻してしまう。
あと1時間ちょっともしたら始まってしまう、
速水さんと紫織さんの、『結婚式』に …ーーー

 

1ヶ月ほど前、私は水城さんに呼び出されて大都芸能に来た。
すると、ロビーで速水さんと待ち合わせているという紫織さんとばったり鉢合わせになってしまった。
「マヤさん。ちょうどよろしかったわ」
そう言って差し出された寿の封書。
「郵送しようかとも思いましたけど…  マヤさんご遠慮なさって来て頂けないのではないかと思って。わたくし是非マヤさんには出席して頂きたいんですのよ。だってマヤさんが紅天女の上演を大都でと決めて下さったから、真澄様も何の憂いもなくわたくしとの結婚に踏み出せたのですもの。ね、是非いらして下さいな」
にっこりと微笑む姿は幸せに光り輝いて、元からの紫織さんの美貌をさらに引き立てているようだ。
覚悟はしていた事。紅天女の試演が終ったら速水さん達は結婚する。
分かりすぎるくらい理解していたはずなのに、こうして目の前に現実として突きつけられると頭をガンと鈍器で殴られたようなショックを受けてしまった。
自分の立っている地面がぐらぐら揺れているようだ。それでも震えそうになる手をなんとか押さえて封筒を受け取った。
「…ありがとうございます。でも、あの、私なんかが行っちゃ、場違いだと思いますし …」
「まあ、とんでもないですわ。マヤさんはこれから真澄様の会社の看板女優になられるんですもの。マヤさんに来て頂ければきっと真澄様もとてもお喜びになりますわ」
その言葉に紫織さんの隣で同じく幸せそうに笑う速水さんの姿が思い描かれる。
ぎりぎりと引き絞られるような心臓の痛み、想像しただけでもこんなに辛いのに、手の中に握り締められた封書はそれを現実に見ろというように私を追い詰めてくる。
「あの、その…私、着ていく物もありませんし…」
じりじりと追い詰められていくような心地で、必死で吐き出した言葉も
「そんな事!それこそお気になさらないで下さいな。マヤさんでしたら何を着てもお似合いになりますもの。ね?来て頂けますわよね」
そう強い口調で言われ、すでに飽和状態だった私の頭ではそれ以上、もう、逃げ口上を思いつくことが出来なかった。

 

あの日から1ヶ月後の今日まで、毎日がひどく息苦しかったように思う。
油断するとすぐに泣いてしまいそうになる自分を抑えるために、演技をしている時以外では、ひどい不恰好の笑顔が癖になってしまった。
夜、布団の中に入って、日付が変わる時間になると、私は毎日指を折って数えた。
あと20日… あと10日… あと7日… あと3日…
すると日中堪えていた分涙はとどまる事なく溢れてきて、私は毎日ひたすら枕に顔を押し付けていた。
刻々と迫り来る日付を、私は死刑宣告を受けた罪人がその執行の日を迎えるような気持ちで過ごした。
そう、だって私は今日死ぬんだから。
今日…私の恋は永遠に、相手に告げることもなく死んでいくんだ。
そう思ったら、無意識にまたぽろりと涙がこぼれてしまって、私は慌ててバッグからハンカチを出して目頭を押さえる。
なんて不便なんだろう。
あんなに泣いたのに、どうしてこの目から未だに溢れ出てきてしまうのか。
【この入れ物に入るくらいの量の涙を流したら、もう枯れて流れることはありません】
そんな風になっていればいいのに。そうすれば、今日絶対泣かずに速水さんに『おめでと う』と言える自信になるのに。
泣きたくない。
今日だけは、絶対に泣いたりなんかしたくない。
今までの沢山の感謝と、めいっぱいのお礼をこめて、速水さんには絶対に幸せになって欲 しい。
だから今日は私の中の一番の笑顔で速水さんに『おめでとうございます』と、『お幸せになってください』って言うんだとあれほど決めていたのに……

タクシーを捕まえて式場の名を告げると、私は後部座席でひとり手鏡を取り出して目元を確認する。
メイクが崩れて泣いた事がばれはしないか。
幸いアイシャドウもマスカラも崩れておらず、目もちょっと充血しているくらいだ。これなら着くまでに元に戻るだろう。
でも式が始まる前からこんな状態では先が思いやられる、とつい悲観的な溜息が漏れてしまう。
掌の小さな手鏡には、ひどくゆがんだ笑い顔の自分が映っている。
あんた女優でしょ!笑うのなんてお手の物じゃない! しっかりしなさい!! 自分で自分を叱咤して、なんとか満足のいく笑い顔が作れるように練習する。
色んな角度で自分の変な笑顔を眺めていると、ふと耳のイヤリングが鏡の中に映りこんだ。
髪をアップにした事ですっかり露になった耳元を飾る、『紫のバラ』の形をした…小指の先ほどの小さなイヤリング。

ドレスを買いに行ったショップの一角でこれを見つけた時、一目で釘付けになって迷うこ となく購入してしまった。
こんな物を付けている私を速水さんが見たらどう思うだろうとは考えたけど、しょせん彼は知らないのだ。 私がもう紫のバラの人の正体に気付いている事を。
相変わらず何も知らない私が、大好きな『紫のバラ』のアクセサリーを付けている。
少し前に絶縁状まで届いているというのに、いつまでも『紫のバラ』を大切に思い続けている懲りない女優がいる。
どうせ彼にとってはその程度の事だろう。
でも私にとっては、こんなちっぽけな物にでも彼とのわずかな繋がりを求めてしまうのだ。
これから結婚する速水さん。
夫になって、独身じゃなくなって、あの美しい人のものになる速水さん。
それでも式の間、私の耳のこのバラに気付いてくれたら、ほんのちょっとだけ、この小さ なイヤリングの大きさ分だけでも私の事を思ってくれるかもしれない。
心の片隅にでも、自分がファンだと言っていた、女優の私の事を想い出してくれるかもしれない。
そんな事を考えている私は、なんて愚かで浅ましいんだろうと思う。
祝うべき立場の私が密かにそんな願いを抱いているなんて、花嫁である紫織さんに対して失礼にも程があるのだろう。

 

「…さん、お客さん!」
手鏡を握り締めたままぼんやりしていたら、いつの間にか運転手さんが体を捻ってこちらを見ていた。
「は、はいっ?」
「どうもこの先のほうで事故でもあったみたいです。さっきから全然車進みませんから。目的地の式場はもう向こうの方に見えてますから、この調子だと歩かれた方が早いと思い ますよ?」
そう言って運転手さんがフロントガラスの向こう側を指差し見ると、確かに道の向こう500メートルほども先の方にそれっぽい建物が見える。
タクシーはウインカーをだして路肩に止まり、私は料金を払うとのろのろと車から降りた。
降りる時タクシーの中の時計を見たら、式の開始時刻まであと40分ほどだった。
もう式場には溢れるほどの人が集まっているのだろう。
私は鉛のように重い足を動かして、1歩2歩と目的地へむけて歩き出した。
その時さっと吹いた風にまじった甘い香りが私の鼻腔に届き、びっくりして目を見開いた。
慌てて顔を上げてその香りの元を探ろうと視線を彷徨わせると、私のすぐ横の車道でその正体を見つけた。
車道では白いワゴン車がハザードを出して停車していて、車の後ろのハッチを開けて次々と車内から道路に下ろされている色とりどり、多種多様の花たち。
数人の人たちが歩道を横断して何度も店内と車を行ったり来たりして、その花たちを次々と抱えて運び込んでいく。
その車の中からたった今下ろされた何十本もの紫色のバラ。
呆然として立ち止まっている私の前を、その紫のバラを抱えた若い男の人が通り過ぎ店内に運び込んで行った。
私は逆らいきれない引力に引っ張られるように、ふらふらと後を追って店内に足を踏み入れた。

「いらっしゃいませ」
年配の女の人が入ってきた私を見て、にっこりと微笑んだ。
「結婚式のお祝いの花束ですか?」
私の格好を見て即座にそんな風に問いかけられ、私は慌てて首を振る。
「あの、さっき、紫のバラが……」
私の言葉に彼女はピンときたというように、あぁと頷いた。
「入荷したばかりのパープルレインの事ですね。あ、そのイヤリングとお揃いなんですね。髪に挿すか胸元に飾られるのかしら?」
私は曖昧に笑ってその言葉の返事を濁すと、彼女はちょっと待ってねと奥に入って行き、先ほどの紫の薔薇をバケツごと抱えて戻ってきた。
どさりと床に下ろされると、その振動で、バケツの中から甘い独特の香りを放つ。
過去何度も何度も私の腕の中で嗅いだものと同じ香り……
ふいにぶわっとその花の輪郭が滲んだ。
「お客様?」
急に涙を浮かべた私を、店員さんは不思議な顔をして覗き込んでくる。
「あ…ごめんなさいっ。あの…すいません、1本だけなんですけど、下さい」
ラッピングを断るとやはり髪にでも挿すと思われたのだろう、少し短めにカットされた薔薇を受け取り代金を渡すと、私は急ぎ足で店内から飛び出した。
外に出た途端、堰を切ったように涙が止まらなくなりそうで、私はぐっと歯を噛んでそれを耐えると、薔薇を握り締めたまま夢中でその場から駆け出した。
道の向こうに見える式場とは正反対の方向へとーーー

 

逃げ出して、しまった。
泣いて泣いて、心おきないほどに自分を泣かせてあげた後、心に浮かんだのはそんな後悔想いだった。
あんなに決心していたのに…今日は心からの笑顔と祝福を彼に贈って、幸せそうな二人の姿をしっかりと目に焼き付けて、ちゃんと自分の恋に終止符を打つんだと、あんなに強く決めていたのに。
自分の不甲斐なさにいっそ笑ってしまいそうだ。
あの後、履き慣れないヒールに転びそうになりながら走って走って、ようやく行き着いたのはこの大きな公園だった。
沢山の木々が植えられ、街中にありながらその奥まではいってしまうと、聞こえてくるのは遠くで遊ぶ子供達の声や鳥の鳴き声。
平日の昼下がりということもあって、人通りもまばらなその公園の一角。
遊歩道をちょっと外れたところのポツンとあった木のベンチに腰を下ろした途端、私はそれまで耐え続けていた涙が一気に噴出し、ただひたすら泣き続けた。

 

 

私の手からは握り締められたままの1本の薔薇の花から強い芳香が立ち昇る。
私の大切な『紫のバラ』 13歳の時初めてもらった時から、私はいつでもこの香りに包まれていたような気がする。
私が嬉しい時も、困った時も、苦しい時も、何かあった時には常にこの香りが私の傍にあった。
でももうダメなんだ……
もう、紫のバラの人から…速水さんから、そんな事をしてもらうわけにはいかないんだ。
嬉しい時も、困った時も、苦しい時も、速水さんが1番に気に掛ける対象は今日からはもう紫織さんで、そんな時に傍にいてもらえる権利はこれからはもう永遠に紫織さんだけのものなんだ。
だからこそ、結婚前に速水さんは紫のバラの人として私に絶縁状を送ってきたのだから。
あの花屋で紫のバラの花束を見た瞬間、まるでその事実を目の前に突きつけられたみたいに思えた。
二度と彼からこの花が私の元へ届くことはないのだと、この香りに包まれることはないのだと。 そう思ったら、もう、無理だった。
私の中で必死に保っていた均衡は崩れ去り、式場に向かうことなんて、もう…とても出来はしなかった。

 

あれからどのくらい時間が経ったのかは正確にはわからないけど、もうとっくに式は始 まっているに違いない。
私の頭の中には式の光景がありありと思い描かれる。
ウエディングドレス姿の紫織さんはさぞかし綺麗なんだろう。
燕尾服を着た速水さんもきっとすごく素敵で、まるで絵みたいにお似合いの新郎新婦なん だろう。
そして、バージンロードを歩いて、二人で一生の愛を誓い合って、互いの指に誓いの証を はめてキスを…するのだろう。
心が、悲鳴を上げている。
イヤだ、嫌だ嫌だ嫌だ!

言いたかった。

  「結婚しないで」って。

  「誰かのものにならないで」って。

  「ずっと私だけの紫のバラの人でいて」って。

言って、しまいたかった。

  「あなたを、愛してます」って…ーーー

そう、本心では私は祝福なんかしたくなかった。
心の中では、紫織さんへの嫉妬心でどろどろだった。
なんて醜いんだろうと思う。
こんな自分は大嫌いだ!
土壇場になって逃げ出す自分も、ぐずぐずといつまでもわずかな繋がりを求めてしまう自分も、今に至ってもこんなに彼を好きだと思っている自分も、思い切り消し去ってしまいたいくらい…大嫌いだ……

どこまでも暗く落ち込んでいく想いに、そのままずぶずぶとまるで底なし沼に引き込まれそうな恐怖を覚えて、私は全てを振り払うかのように俯いていた顔を上げた。
見上げれば、木々の間から相変わらず雲ひとつない青空が広がっている。
素晴らしくお似合いの二人の結婚式には、天さえも味方につくんだ、とそんな風に思っ た。
私は空の青をじっと見詰めたまま、深く深く肺いっぱいに新鮮な空気を吸い込む。
この綺麗な空からの空気で体中を満たせば、私の中の醜い物思いが少しでも外に出て行くかもしれない。
そんな救いを求めるような気持ちで、何度も何度も繰り返したら、なんだかほんのちょっ とだけ自分の心が洗われたような気になった。
今頃同じ空の下で、速水さんと紫織さんは沢山の人たちに祝福を受けているのだろう。
いっぱいの人が、私が言えなかった「おめでとう」と「お幸せに」を言っているのだろう。

そんな風に思いながら空を見詰めていたら、私はふと思いつく。
それは余りにも空の青が美しかったから、せめて今日のこの日彼の為に何かをしたかったから、そして何かに懺悔したかったから…思いついたのかもしれない。
私は手の中の紫のバラをまるで神聖なもののように一度空に向かって掲げた後、両手を胸の前で組んで、瞳を閉じて祈りを捧げる。
この澄み切った空の向こうの、見えない存在に向けて。

 

   神様、今日あなたの眼前で永遠の愛を誓った男性がいます。
   その人は、私の大切な大切な人です。
   なのにきちんと祝福してあげられない勇気のない私を、どうか許してください。
   神様、彼は私の為に今まで沢山の愛情と献身と支えをくれた人です。
   だから神様、もう私は何もいりません。
   その代わり、私の分もどうかどうか彼が幸せになりますように。
   誰よりも何よりも、どうか彼を幸せにしてあげて下さい。


都合のいい時にばかりこうしてお願いをするなんて、ましてやクリスチャンでもなんでもない私の願いなんて、神様に届くはずはない。
それでもこの空を見ていたら、ただ純粋に祈りたかった。
他になにもする事が出来ないから。
自分の行動にふっと笑いが漏れ、私はもうひとつだけ空の神様に向かって静かに祈る。
   

   そして…なにも望んだりなんかしないから、これからもあの人を愛し続ける私を
   神様ーーーどうぞ赦してください……

 

ーFin−

 


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