『Drink』

+++written by アイリーン様+++

 

時刻は午後8時になろうとしていた。
仕事も順調で、目が回るほど忙しいマヤにとっては、珍しく早い帰宅となった。
最近ではこんな時間に終わることなど滅多になく、帰宅と同時に溜まった疲れが 吹き出し、どさっとソファにその身を落とした。

 

テレビのスイッチを入れる。
しんと静まり返った部屋に、たったひとり。
その事実を認識するだけで胸に穴が空くのでは・・・と思える程の孤独感が押し寄せる。
そんな自分を誤魔化す為に、彼女はとにかく何かの音を欲する。
テレビのスイッチを入れる・・・それは、ほとんど無意識の行為となっていた。

 

チャンネルをあちこち変えてみたが、マヤの好きなドラマはなかった。
仕方なく彼女は立ち上がると、バスタブに湯を溜める。
夢中で仕事をしている時は気付かなかったが、確かに疲れていた。

もう、どうしようもなく疲れていた・・・

 

バスタブに体を浸けると、疲れが泥のように溶けていく。
大型のバスタブは、小柄なマヤが思い切り足を伸ばしても、まだ余裕があった。

それでも・・・

長身の彼は、少し足を折り曲げないと入れない。
無理やり一緒に入らされた時は、恥ずかしさからまともに見られなかったが、 少し窮屈そうにしていた姿だけは妙に印象に残っていた。
ボディーソープを泡立て、全身を撫でるように洗っていく。
彼も気に入りの柔らかな香りが、浴室に立ち昇る。
ほんのひと時、同じ匂いを共有できる。
マヤはこの時間が心の底から嬉しかった。
愛しかった・・・

 

風呂から上がったマヤは、全身をバスタオルでさっと拭くと、無造作にバスローブに 伸ばそうとし、その手を・・・止めた・・・
隣にはきちんと折り畳まれた、彼のバスローブ。
ふいに思い付いたように、マヤは迷わずそれに手を通した。
湯上りの火照った体が、瞬間に熱のないバスローブで冷やされていく。
きれいに洗濯され、彼の香りすら一片も残されていない・・・彼のバスローブ。

勿論、彼のぬくもりも・・・ない・・・

 

バスローブを、彼を抱きしめるように、マヤは自分の体を抱きしめた。
ふらつく足取りで冷蔵庫から缶ビールを一本取り出し、そのままソファに腰を下ろした。

 

 

テレビは丁度、子供向けアニメの映画が放送されていた。
見るともなく画面に目をやるマヤだが、こうして落ち着くと否応なく彼の面影が頭を過ぎる。
彼には2歳になる子供がいた。
もしかして彼は、その子と一緒にこのテレビを観ているのかもしれない。
そして、きっと隣には優しく微笑む、あの美しいひとがいるのだろう・・・

わかっている・・・わかっているはずなのに・・・

マヤは缶ビールを一気に飲み干すと、目を堅く閉ざし、その画面を視界からシャットアウトした。

ふたりは夫婦なのだ。
いくら愛しているのは君だけだと、幾度も優しく囁かれても、その事実には変わりない。
それでもいい、それでも彼が必要なのだと、わかっている、わかっているのに・・・
気付けば身勝手な嫉妬心で、がんじがらめの自分がそこにはいた。
悪いのは自分なのに、奥様と子供から、その目を盗んで彼の時間を掠め取っている・・・

悪いのは自分なのだ・・・

 

いったい何度こんな夜を迎えれば、終わりがやって来るのだろう?
ひとりはイヤ!!いつも傍にいて!!
何もかも振り捨てて、あたしだけのひとになって!!
喉元まで出かけては必死に飲み込む、幾重にも重なった自分の中の真実の言葉。
いったい、いつまで心の中に溜め込めばいいのだろう?
いつかは、その言葉たちも意味を無くし、霧散するとでもいうのだろうか?

 

たまらなく切ない夜・・・
こうしてアルコールを飲んで、気を紛らわせた。
なにもかもを投げ出したくなる、絶望の夜・・・
身も心もぐずぐずと腐り落ちていく感覚に耐え切れず、あおるように貪り飲んだ。
何本目かのビールを飲み干したマヤは、ふらふらと寝室に向かう。

彼の匂いも、ぬくもりも、何の名残もない、彼のバスローブに身を包んだまま・・・

酒と疲れから、マヤは自然に瞼が重くなるのを感じた。

眠りにつく直前、無意識に彼女は彼の名を呼んだ。

彼に届く筈もない、極上に甘く、か細く、そして優しい声で・・・

 

−−−速水さん・・・

 

静かに夜は更けていく。
彼女にも、彼にも、誰の上にも平等に・・・

END

 

 


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