『一番欲しかったモノ』

+++written by RIBI様+++

 

--第3章--

真澄はマンションの地下駐車場に車をつけると、ふ──っと一息をついた。
(今日も日が変わってしまったか…) 車内のデジタル時計は、AM1:35を表示している。
この時間では、もう眠りの途についてしまっていることだろう。連日の撮影で疲れきって いる彼の愛妻は。
つくづく社長業など因果な商売だと思う。
ハネムーンの為の有休も容易に取れないどころか、新婚だというのに彼の前には常に仕事 の山が築かれ、崩しても崩してもその山はいっこうに縮小する気配は無く、新妻とゆっく り語らう時間すらも与えてくれないのだから。
今日も今日とてすでに大都の系列劇場での上映が内定していた海外映画に、急に難癖が付 けられ契約が頓挫し、夕方からその処理にあちこち奔走させられた。
真澄が直に担当者と再交渉にあたり、なんとか事なきを得たが、彼の今日一日のスケ ジュールを大幅に狂わせてくれた。
明日も(時間的には今日だが)早朝から今回のトラブルの後処理を片付けてから、その後新 幹線に飛び乗り昼までに京都に赴き、そして夜までには東京に戻り外せないパーティが彼 を待っている。
本当に、いくつあっても体が足りない。
彼の忙しさは昔からすさまじかったが、最近はいよいよ人間離れした、尋常ならざる域に達してしまっている。
会社の内にしろ外にしろ、とにかく彼の足を引っ張るような、ある意味露骨なトラブルが 頻発しているからだ。
原因は、分かっている。
だからこそ負けるわけにはいかない。
どちらにしても彼にとっては覚悟していた事であり、またそれと引き換えに得たものの大 きさを思えば、どうという事もない。
そう、辛くは…ない。
どれだけ体を酷使しようとも、苦しくはないのだ。
あの温もりを手にしたのだから。
真澄は身の内にまだ燃えるように蓄えられている自らの力を確かめるように、ぐっと両手を握り締めた。

 

部屋に入ると、やはり玄関以外は真っ暗に消灯されており、彼女がすでに休んでいる事を澄に教える。
ネクタイを緩めながらリビングに入り、室内灯のスイッチに手を伸ばす。
パッと明るくなった室内で持っていた鞄をソファに投げ出そうとしたら、そこに予想外の ものを見つけて、瞬間彼の心臓を竦ませた。
寝室で眠っているものとばかり思っていたマヤが、膝を抱えて小さく身を丸めながら、 ソファの上で無言のままに真澄を凝視していたのだ。

「…っ、驚かすな。なんで真っ暗な中なんかに…」
そう問いかける言葉尻を、思わず飲み込む。
それはマヤがあまりにも真剣な表情をし、ともすれば今にも泣きそうな程に顔を強張らせていたからだ。
驚き二の句が出ない真澄の前で、マヤは僅かに視線を落し立ち上がると、静かな足取りで彼に歩み寄ってきた。
そうして真澄のすぐ目の前まで近寄ると、ゆっくりと顔を上げ、その大きな瞳いっぱいに 彼を映す。
間近で見ればその顔色は青ざめ、唇は乾き、瞳は揺らいで溢れそうになる涙を必死に堪えているのが分かった。
明らかに様子のおかしい彼女に、何があったんだ?!、と問おうとした真澄を遮るようにして、マヤは口を開く。
「今日も…お仕事、大変だったんだね。こんな時間まで…」
彼女の声は震え、そこに切実なまでに張り詰めた緊張感を感じる。
真澄は一体何事が起こったのかと胸騒ぎがおさえられず、脳内で今日のマヤのスケジュー ルを巡らせ推察を試みた。
だが彼の頭が結論を導き出すより早く、更にマヤは言葉を続ける。
「そんなに忙しいのって、ホントは年明けだから、とかじゃないんでしょ?」
質問の形を取りながらも、そう問うマヤの瞳は確信めいて、真澄はじわりとイヤな予感がよぎる。
無言で押し黙る彼に、マヤはたまりかねた様に叫んだ。
「私と結婚した事が原因で、今あなたの周り、すごく大変な事になってるんでしょ!?」
予感的中。
真澄は心の中で舌打ちを打ちながら、しかたなく話しを濁す。
「…君には関係のない話だ」
しかしそんな真澄の言葉など彼女の耳には届かず、マヤはこの時間までひとりでぐるぐる と考えていた事を吐き出さずにはいられない。
「私、バカだから、本当の意味でちゃんと分かってなかった… 嬉しくて幸せで、ホント に毎日夢みたいで、そんな事ばっかり思ってて…」
言葉をひとつひとつ喉に詰まらせながら、マヤは話す。
「あなたの立場とか、ウシロダテとか… 私じゃ、何にも、貴方の助けになれないって事が、全然わかってなかった……っ」
「…マヤ、だから」
口を挟もうとした真澄だが、思いつめたマヤはそれを許さない。
「なんで、私ってこうなんだろう… ちゃんと、初めからよく考えてれば、分かったはずなのに。今頃になって、人に言われて、ようやく…分かるなんて…」
「だから、関係ないと言ってるだろう!」
遂には激昂する真澄に、マヤも負けじと言い返してくる。
「関係なくないよっ! だって今こんなにお仕事大変なのって、私と結婚したからなんでしょ? 会長さんにあなたが責任を取れって、そう言われたんでしょ?」
真澄は歯噛みしたいような気分だ。
一体どこのどいつが、彼女に余計な事を吹き込んだのだ。
マヤは一瞬ぐっと呼吸を飲み込み、俯くと、必死に涙を堪える。
「やっぱり…私たち、結婚するべきじゃなかったんだよ。ううん、そもそも私なんかがあなたに、告白なんてするべきじゃなかったんだ…」
一旦自らの考えに沈むと、彼女はひどく意固地になる事を知っている真澄は、声のトーンを落とし、たしなめる様に言う。
「何でそうなるんだ。頼むから、ちょっと落ち着いてくれ」
だが、マヤは興奮して目頭が熱くなり、だんだん視界がぼやけてくる。
胸は焼けるように熱く、どくどくと脈打つ心臓の音が耳に五月蝿い。
これ以上言ってはいけないと心は警笛を鳴らしてるのに、頭の中がわやくちゃで、混乱した想いはどんどんマヤの口に登ってきて止められない。
「…馬鹿なんだってさ、あなたの事。私なんかを…しがない女優なんかを選ぶなんてって。もっともっとあなたの為になるいい縁談が、いっぱい…あっただろうにって」
「マヤっ、いいかげんにしないか!」
ぐいっと両方の二の腕を大きな手で掴まれ、真澄に引き寄せられると、いきおいマヤは俯いていた顔を上げ、
「私、私、よかったのにっ! ただ、あなたの傍に居れさえすれば、結婚できなくても…  あなたに迷惑かけたかったわけじゃない!! あ、あ、愛人だって… 別によかった。 傍に置いてさえくれれば、ホントに…よかったのに…っ」
「マヤ!!」
思わず真澄の手が上がる。
ぶたれる、と本能が察知して、マヤはびくっと身を強張らせ、ぎゅっと目をつむったが、 いつまで経っても彼の手が振り下ろされる事は無かった。
おそるおそる目を開けると、真澄は顔を背けて、ぎりっと歯を噛み締めながら、怒りを抑えていた。
振り上げられた手は握り締められ、その爪が食い込むほど力の籠もった真っ白な拳が、彼の怒りを如実に表している。
マヤは水を浴びせられたような心地だった。
興奮していた感情が徐々に収まるにつれ、彼にぶつけたいくつもの自分の言葉が、マヤの心を罪悪感となって締めつける。
だんだんと居た堪れなくなって、ついには踵を返し、彼の前から逃げ出してしまった。
そのまま寝室へ入ると、倒れこむようにベッドに飛び込む。
とたん堰を切ったように溢れてくる涙に、マヤは枕に顔を押し付け、うっうっと嗚咽を押 し殺して泣き続けた。

 

マヤが立ち去った後では、真澄は苦虫を噛み潰したように苦悶の表情を浮かべていた。
(何でこうなるのだ…)
ただでさえ溜まっていた疲れが、一気に大波になって押し寄せてくるようだ。
イライラが募って、そこらの物を手当たり次第にぶちまけてしまいたい。
ひどく…腹が立っていた。
一体彼女は、俺をなんだと思っているのだろう。
立場? 後ろ盾? そんな物が俺にとって大切なのだと、彼女よりも俺にとって必要なの だと、本気で思っているのか。
マヤが放った幾つもの言葉の刃が、深々と彼の心に突き刺さる。
しかも…愛人だと? それでも、よかっただと?!
つまり、俺が彼女以外の…例えばどこかの財閥令嬢やらとでも結婚しても構わなかったと でも言うのかっ!!
怒りが燃え上がり、脳内が真っ赤に染まる。
真澄は堪えきれず、壁にどん!と握り締めた拳を叩きつけた。
そのまま片手で頭を抱えて、なんとかこの怒りをやり過ごそうとする。

 


逆立つように荒れ狂った波が、静かに凪いでいくのを、ただひたすらじっと待つ。
唇を噛み締め、乱れた呼吸を幾度も繰り返し、体中を巡る血液の奔流に耐える。
やがていくばくかの時間の後、真澄は天井を振り仰いで、ほ…と息をついた。
分かっては、いる。
ただ彼女は急に知ってしまった情報に混乱し、パニックを起こして、つい思いついたこと をそのまま口走ってしまっただけなのだという事は。
決してそれが彼女の本心から…ではなく、ただ彼女なりに、俺を心配しての事だろうこと は、よく、分かる。
だが……

なぜ彼女は、いつもいつも『自分なんかが』、などと言うのだろう。
何にも代え難く、唯一無二に愛している俺の気持ちは、少しも彼女の自信に繋がってくれないのか。
なぜ、俺を幸せに出来るのは他の誰でもない自分だけなのだと、そう、迷わず言い切ってくれないのだろう。
もっと俺を欲して欲しい… 
俺は自分の物だと、誰にも渡さないと、そう、強く所有欲を持って欲しい…──
そう願うのは、我侭な望みなのだろうか。

怒りが過ぎ去った後の真澄の心には、乾いた砂漠のような空虚な哀しさが広がった。
彼の心を燃え上がるように沸き立たせ奮起させるのも、いっそ何もかも放り出したいよう な自暴的な空しさを感じさせるのも、すべて彼女に繋がっているというのに、無邪気な彼 女はその事をさっぱり理解していない。
自らの振り下ろす言葉や態度が、彼にどれほどのダメージを負わせるのかを知らず、無慈悲にその刃を彼の心臓につきたてる。
まるで諸刃の剣だ。
そして自分はその剣の前で、盾も鎧もないまま、ただ丸裸で立ちつくずばかりなのだ。
体は泥の様につかれて眠りを求めていたが、彼女に深々と切り裂かれた心からどくどくと脈打つように血が流れ続ける。
その痛みを一瞬でも忘れる為に、気持ちが眠りよりも更なる仕事を彼に求めさせる。
真澄は着のみ着のままそのまま仕事場にしている自室へ入ると、その夜、結局一睡もする事なくPCと書類に向かい合った。

 

一方マヤも、ベットの中で丸まりながら、自責と後悔の念で大泣きし、そのまま眠る事も来ずまんじりと夜を過ごした。
そして、空が明るみ出した頃になっても、真澄が彼女の隣に潜り込んでくる気配は無く、やがて遠くからシャワーの水音が響くと、そのまま真澄は一度もベットルームに入る事な く、仕事に出かけて行ってしまった。
がちゃり…と閉まった玄関扉の音が聞こえ、マヤはそれが彼からの拒絶の音に感じられてしょうがなく、収まっていたはずの涙がまたぽろりと零れた。
心は後悔でいっぱいだ。
なんであんなひどい事を言ってしまったのか…
昔から深く考えもせずに、思いつくままに言葉を発してしまう自分の口が、この治らない悪癖が、ひどく憎らしい。
それでも実際にああして口に出してから、気づいた事がある。
自分は結婚してから…いや、おそらく真澄と付き合いだしてから、心の奥底で、ずっと思っていたのだ。
真澄に対して何にもしてあげる事の出来ないことを、何一つ彼の役にたてない事を、どこ かでずっと申し訳ないと。
そして彼に守られてばかりいる自分を、その無力さを、どこかでずっと…、嫌悪していたのだ。

 

 

 

「はぁ〜〜〜〜」
無意識のうちに漏れる溜息。
それはここ数日のマヤのクセになりつつあった。
今は北海道の空の下、撮影の合間の、天気待ちという状態である。
晴れ間が出なければ、シーンのつなぎ的に不味いという事なのだが、どうも空模様的に再開までもうしばらくかかりそうだ。
マヤはこの隙に昼食タイムとなったが、お昼のお弁当に箸をつけるのもそこそこに、おかずをほんの少し口に入れては止まり、溜息をついてはまたホンの少しだけの御飯を口に入 れる。
食欲なんて皆無だった。
そもそもこの所ずっと不自然なほど胸がむかむかとしてしまって、僅かな吐き気をずっと感じているのだ。
体力には並々ならぬ自信があるマヤだが、ここ数日、色々と考えすぎて精神的にストレスがたまっているのかもしれない。
ただいくら食欲が無かろうとも食べておかなければ、強行軍のの撮影スケジュールで、 後々スタミナ的な支障が出るかもしれないというマヤのプロ根性が、なんとか食品を義務 の様に口に運ばせていた。
だが味などさっぱりで、ついつい箸も止まりがちになってしまう。
今日などは特にそうで、ほんの数口食べただけで、マヤはため息をついて箸を置いてしまった。

真澄と言い争いをした翌日、マヤは夕方からの便で、ここ北海道へとやってきていた。
それはずいぶん前から彼女の予定として決まっていた事で、ドラマの撮影の為、1週間の滞在予定だ。
東京よりもずっとずっと寒いこの地で、朝から晩までみっちりと組まれた撮影スケジュールに毎日追い立てられているが、それでも僅かに出来る隙間の様な時間には、常に真澄の 事ばかりが頭に浮かんでいた。
最後に見た、顔を背け唇を噛み締めて怒りを堪える、彼の姿が。
本音を言えば、あんな気まずい状態のままで出発したくはなかった。
だがマヤの勝手で、撮影に穴を開けるわけにはいかない。
彼女の代わりは、他に居はしな いのだから。
マヤは後ろ髪がひかれまくる想いを断ち切るようにして、機上の人となった。
それでもマヤはカメラの前では必死に仮面を被り続け、なんとか撮影は順調に進み、残り数カットを残すのみ。
これなら予定通り今夜の便で東京へと戻れるだろう。

「はぁぁぁ…」
またしても深いため息が零れた。
そうなのだ、今夜には帰るのだ。
東京へ。真澄と暮らすあのマンションへ。
しかし、そこでマヤはぱったりと壁に突き当たってしまうのだ。
どうしよう、今真澄さんに会って私は何て言えばいいんだろう、そんな当てどもない想いばかりが頭を堂々巡りするばかり。
実はマヤはあの日以来、真澄と一言たりとも言葉を交わしていないからだ。
もちろんこの1週間、マヤは何度となく彼の携帯に電話をしようとした。
ホテルで目覚めた朝にも、昼食を取る昼にも、そして撮影が終わった夜にも。
携帯の液晶画面に真澄の番号を表示させ、あとは通話ボタンを押すだけ。
だが、そこでピッタリとマヤの指は止まってしまうのだ。
彼に対してとてもひどい事を言ってしまった自覚は、イヤというほどある。
それに対して 誤らなければ、とも思う。
でも謝って、それからどうすればいい?
このまま彼の妻として、彼と一緒に暮らしてて、ホントにいいの?
だって、もしか…彼が社長を解任させられたりなんかしたら…
彼が今まで築き上げてきたものが、彼の大切なものが失われてしまう。
自分のせいで!
…じゃあ、いっそ、彼から離れる? そうすれば──
マヤは深く俯きながら、ぶんぶんと何度も頭を左右に振った。
(やだやだやだ! そんなの…イヤだよぉ……)
想いは息つく間もなく、到着地も分からぬまま、あっちへこっちへと振り子の様に巡る。
解決方法も出ぬまま、離れ離れの1週間。結局マヤは1度も彼に電話をする事ができず、そ うして真澄からマヤへ電話してくる事も、1度もなかった。

「…ん、マヤさん!」
はっと我に返ると、マネージャーの凛子が身を屈めて、マヤを覗き込んでいた。
気付けばお昼のお弁当は完璧に置き去りにされてしまっている。
「あ、ごめん、凛子さん。ちょっと、ぼーとしちゃってた。撮影再開ですか?」
無理に笑いを顔に張り付かせてそう聞くマヤに、凛子は軽くかぶりを振る。
「いえ、もうちょっとかかるそうですけど…」
そこで凛子は一瞬言い淀み、直後意を決したように切り出した。
「マヤさん…、今日こそは話してもらいます。一体何があったんですか?」
真剣に真正面から真っ直ぐに問いかけられる。
瞳に心配げな影を宿した凛子を見るにつけ、マヤは申し訳ないような気持ちになるが、
「だから、別に…なにも…」
「何にもない、別に平気、なんて言葉じゃもう聞き分けません! なんですか、そんな青い顔色して!!」
強い口調で言われ、マヤはぐっと言葉をのみ押し黙る。
「こっちに来てからというもの、マヤさんときたら気付けばため息ばかりつかれて… 食事だって碌に食べてらっしゃらないし、夜だって本当はしっかり眠ってらっしゃらないで しょう?」
元々水城に見込まれてマヤのマネージャーになった凛子。その観察眼も並大抵なものでは ない。
「それでもマヤさんが言いたくないと思ってらっしゃるのを、無理に聞き出すのもどうかと思い、あえて今まで突っ込んでお聞きしませんでしたが…」
凛子はマヤの前に置かれたほんの少ししか減っていないお弁当をチロリと眺め、
「この1週間でマヤさんまたお痩せになられましたよね。ただでさえ華奢な体をされてる のに!」
それは事実だった。
メイクで誤魔化してはいるが、顔もラインも少しだけ変わってしまっ ていた。
「ご、ごめんなさい…」
俯いたまま、身を小さくして小声で謝罪するマヤに、凛子は少しだけ語調を弱める。
「まぁ演技そのものに支障をきたしておられないのは流石だと思います。…ですが、こんな状態のままでおられれば、いつその演技にも支障が出るとも限りませんし、第一そんな体調で連日のハードなスケジュールをこなされて、もしか倒れでもしたらどうします」
体力には自信のあるマヤ。だからといって、無茶をして良いということはない。
とかく今 回のような精神的なことが原因の場合など。
凛子はマヤの前に跪き、膝に置かれていたその手の上に自らの手をそっとのせる。
そうしてマヤの手を包み込みながら、じっと下から真摯な瞳でマヤを見上げた。
「マヤさん、何があったのか、話してください。独りで思い悩まれるより、話してしまえば少しは楽になるかもしれませんし、もしかしたら何かお役に立てるかもしれません」
凛子の瞳は気遣わしげで、言葉の端々にマヤを真剣に思いやってくれているのを感じる。
マヤはぐらりと心が揺れた。
1週間、自分の中で悶悶と思い悩み続け、だがまったく解決の糸口も見出せず八方塞のような状態になっていたマヤにとって、凛子はまさに一条の光明の様に思えた。
頭のよい彼女ならば、適切なアドバイスを与えてくれるかもしれない。
そんな考えがよぎる。
だが、
「今のマヤさんが、お仕事の事でここまで思い悩まれるとは思えません。…ご家庭の事、 ですね?」
そう確認の様に問いかけられ、マヤはびくっと身を硬くした。
そうして、幾ばくか考えた後、マヤはふるふると凛子に対してかぶりを降る。
「ううん、凛子さん。ホントに何でもないよ…」
話すことは出来ない。
真澄との事を話すならば、大元の原因である、彼の社長解任の恐れがあることまで触れなければならないだろう。
なんといっても、凛子は大都芸能の社員であり、真澄の元直属の秘書なのだ。
そんな彼女に、おいそれと、話していい内容ではない。
視線をそらし、押し黙るマヤに、凛子はふっと嘆息すると、直後すっくと立ち上がった。
「分かりました。しかたありません。こんな手段は使いたくありませんが、水城先輩に連絡を取って、社長に繋いでいただけるようお願いします」
凛子の懐から取り出された携帯を見て、マヤはぎょっとして目を見開く。
「どうしてもマヤさんから話して頂けないのならば、もうおひとりの当事者の社長にお伺 いするしかありません。もちろん失礼は承知ですし、すぐに教えていただけるとは思えま せんが、このままマヤさんが倒れられるまで手を拱いているよりマシですから」
そう言い切り、凛子はピッ、ピッ、と素早い仕草で携帯を操作する。
「やっ! ちょ、ちょっと待って!」
マヤは慌てて立ち上がり、凛子の携帯を奪おうとするが、長身の凛子が腕を頭上に伸ばしてしまえば、小柄なマヤにはまったく手が届かない。
「やめて、やめて! お願い、凛子さん!!」
凛子の腕の先の携帯に向けて、ぴょんぴょん飛び跳ねながら、マヤは必死で懇願した。
凛子は冷静にマヤを攻撃を受け流しながら、
「では、話して頂けますか?」
再度そう聞いてきた凛子の言葉に、マヤはぴたりと動作を止める。
「マヤさん、確かに私は社長の部下です。大都の社員です。だから、社長との事で、話しにくい内容もあると思います」
マヤの心を見透かしたように、凛子は言う。
「ですが私は今は、マヤさんのことを心から心配している、ただそれだけです。肩書きは、関係ありません。私を信用してください」
恐らく先ほどの水城への電話は、凛子のポーズだったのだろう。
だがしかし、どんな手段を使ってもマヤの悩みを聞き出そうと、それだけマヤを親身に心配してくれている凛子の優しさを見て取ったマヤは、ようやく覚悟をきめた。
「分かった、凛子さん。話します。それで…私はどうすればいいか、教えてください───…」

 

 

─4章へ─

 

 


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